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INNOVATORS
公開 2025.05.22

「当たり前」を疑え 時代を変え、新たな定番を生み出す企画発想のゴールデンルール
スタートアップファクトリー代表 鈴木 おさむ氏 インタビュー(後編)

「当たり前」を疑え 時代を変え、新たな定番を生み出す企画発想のゴールデンルール スタートアップファクトリー代表 鈴木 おさむ氏 インタビュー(後編)

2023年10月12日、鈴木おさむ氏は文筆業からの引退を宣言した。引退後に手掛けたのは、若き起業家支援。To C向けのファンド「スタートアップファクトリー」を立ち上げ、代表として活動している。なぜ引退したのか、なぜ起業家支援を手掛けているのか、その想いについて語る。

取材/元榮太一郎(本誌発行人) Taichiro Motoe
取材・執筆/山口和史(本誌編集長) Kazushi Yamaguchi
写真/西田周平 Shuhei Nishida

「最後は気合と根性」 伝説のヒット番組が生まれた理由

- 「32年間の放送作家生活で、企画書を見て一番ワクワクした」と語るのが2001年から2004年まで日本テレビ系列で放送された「¥マネーの虎」だったという。起業家が「虎」と呼ばれる社長たちに自身のビジネスプランをプレゼン。説得できれば社長たちから出資してもらえるという、投資バラエティ番組だった。鈴木氏に「面白い番組を作るコツやポイントは?」と尋ねると、「最後は根性ですよね」と次のエピソードを話してくれた。

鈴木 おさむ 氏 (以下 鈴木氏):日本テレビの栗原甚さんが企画した番組でした。日本テレビの土屋さんが編成企画に移って勢いのある今こそ、今までに無い新しい番組を作らなければならないと番組の企画を募集しました。栗原さんと作家の堀江利幸さんは、どんな番組を見たことがないかと考えたときに「金が乱れ飛ぶ番組は見たことがない」と思ったらしいんです。番組には景品表示法で賞金の上限が決められているのですが、法律で定められた金額では少なすぎてとても興奮できない。どうすれば人が興奮するほどの金額を扱えるかと考えて行き着いたのが「投資」だったそうです。

- 今までに無い番組ということは前例が無いということ。前例が無いということは抱いた疑問の解決策が明文化されていないということでもある。彼らは投資をテーマに番組作りをする際の問題点を洗い出し、法務部門など関係各所に確認を取り、この形なら番組を作れるかもしれないという企画を作り上げた。

鈴木氏: 前例の無い番組だったので、出演して投資をしてくれる社長がなかなか見つからなかった。でも前例の無い番組だったけれど、土屋さんは想像がつかないからこそ面白いと企画を通そうと言ってくれたんだそうです。ただ、2ヵ月以内に投資をしてくれる社長を見つけることが条件でした。

- まずは上場企業の経営者に片っ端から企画書をファックスしたが、全員NG。次は中小企業に狙いを定めて企画書を送るがこちらも全員NG。どんどん約束の2ヵ月が迫ってくる。

鈴木氏: もうダメかもしれないとなったときに、アイデアはあってもお金がない、起業家と同じ経験をした社長なら、自分が困ったときに助けてもらった経験のある社長だったら出てくれるかもしれないと思い立ったそうです。

- そこで書店でビジネス書を買い漁り、片っ端から読みまくって見つけたのがリサイクルショップ「生活創庫」創業者の堀之内九一郎氏だった。

鈴木氏: 彼もホームレスになったり苦労しているので、堀之内さんならと思って、お願いしたら引き受けてくれることになったそうです。こうやって話すとものの数分なんですけど、まず上場企業の社長全員に聞く。次に中小企業の社長に聞く。そこからビジネス書を読みまくる。これって根性なんです。そして実現へと至る想像に向かって一切ブレず、できる努力を全部している。そして、そこベットしてくれる上司がいた。それはこの番組は面白くなるよなって思うんです。

応援は「クリエイティブ」 培った人脈を若き起業家のために活かす

鈴木 おさむ 氏

- 放送作家として過ごした32年間で数々の人気番組を世に生み出した鈴木おさむ氏が、放送作家業、文筆業からの引退を発表したのは2023年10月12日のことだった。

鈴木氏: SMAPが解散してから(2016年12月31日)も、いろいろと新しいことはやらせてもらってきたのですが、気が付くとアドレナリンが出づらくなっていたというのが一番大きな理由でした。また、昔は新しいアイデアを出すことが求められていたのに、経験を積んだことで番組を成立させるためにみんなの意見をまとめていく管理職のような役割をこなすことがどうしても多くなってきたんです。それは自分にとっては退屈だったし、「これでいいのかな」「こんなことでお金をもらっていいのかな」といった葛藤もありました。若い人たちからダサいなと思われているんだろうなということも考えていました。

それで50歳になったら辞めようと思っていたのですが、コロナ禍になったんです。ひところの騒動が収まって、コロナ禍が明けるとなったとき、もう一度あの生活に戻るのかと考えたら、自分の中でスイッチが入らないなと感じて、それで辞めようと思ったんです。

- 放送作家を引退後、現在はTo C向けのファンド「スタートアップファクトリー」の代表を務めている。

鈴木氏: 辞めることを決めた後、若い起業家の子に「オレは何が向いているかな」と聞いたら、なんで本気でファンドやらないんですか? って言われたのがきっかけです。あともうひとつ「踊る大捜査線」の本広克行監督から「おさむさん、早くにチャンスを掴むことができた僕らが年を重ねた今やらなきゃいけないことって何か分かりますか?」って聞かれたんです。答えを聞くと「応援ですよ」って言われたんです。そのときにあっ! と思って。応援ってものすごいクリエイティブだし、これまで培った人脈とコネクションが活かせるんじゃないかなと思ったんです。その応援という言葉と「ファンドはやらないのか」という言葉が結びついて決めた、という感じです。

- 現在、50代を迎えた鈴木氏は、40代を「人と出会うための時期」と定め、人脈を広げていった。経営者、起業家とのつながりはもちろん、当時横綱だった白鵬関と親密になり、タニマチの世界も知った。番組制作で知り合ったホストと仲良くなり夜の世界の理屈も知った。自身で飲食店を経営し、格段に人脈も広がった。ビジネス社会だけではない、鈴木氏だから持ち得た幅広い人脈を若い起業家を応援するために今、活用している。

鈴木氏: 起業家の子たちの若いパワーを受け止めて、その事業を僕の力で数倍にしてあげたいと思っていますからしんどいですよ。僕は32年の放送作家人生を振り返ると、一度も楽しいと思ったことはなかったんです。もちろん面白かったとか、感動したと思ったことはあります。だけど仕事そのものが楽しいと思ったことはないんです。視聴率のプレッシャーはありますし、いくら面白いことを考えても当たらなきゃそれは失敗で、数字が悪ければ番組が終わってしまう。今やっているファンドも、僕が「楽しい」と思っていたら上手く行かないと思って、真剣に向き合ってやっています。

- 常識を疑い新たな定番を作り続けてきた鈴木氏のファンドから、「なぜ今まで無かったのか」と驚かされるサービスを提供する企業が生まれる日も近い。

<前編はこちら>

<中編はこちら>

Profile

鈴木 おさむ 氏

千葉県千倉町(現・南房総市)生まれ。19歳の時に放送作家になり、それから32年間、様々なコンテンツを生み出す。
2024年3月31日をもち放送作家・脚本業を引退し、現在は、To C向けファンド「スタートアップファクトリー」を立ち上げ、その代表を務める。