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公開 2024.03.14

ピッチを駆け抜けた天才の「奇跡」と「軌跡」
元サッカー日本代表 小野 伸二 氏のインタビュー(中編)

ピッチを駆け抜けた天才の「奇跡」と「軌跡」 元サッカー日本代表 小野 伸二 氏のインタビュー(中編)

Jリーグデビューを果たした1998年。ベストイレブン、新人王を受賞しプロサッカー選手として順風満帆なスタートを切った。これから大輪の花を咲かせようと一歩を踏み出した1999年7月5日、以降のサッカー人生を大きく狂わせる左膝靭帯断裂の重傷を負ってしまう。逆境からどのように立ち上がったのか。リハビリの時期、彼にとってサポーターの存在はどのようなものだったのか。天才の復活劇について話を聞いた。

取材・文/山口和史 Kazushi Yamaguchi 写真/西田周平 Shuhei Nishida

史上最年少でW杯出場。世代交代の象徴的な存在に

- 1998年は小野氏のためにあったかのような1年となった。浦和レッズではデビュー2戦目にして初ゴールを決め、最終的にシーズン9得点を挙げる。シーズン終了後には新人王とベストイレブンに選出される。

また、主力として出場したアジアユース選手権では準優勝を果たし、自らもMVPを獲得する大活躍を見せた。

なによりフランスW杯では当時の岡田武史監督に大抜擢され日本代表に選出。第3戦のジャマイカ戦で初出場し、随所に印象的な好プレイを見せた。18歳と272日でのW杯出場は日本代表の史上最年少であり、現在もこの記録は破られていない。

小野 伸二氏(以下 小野氏): プロ1年目(1998年)も自分の持っているものを最大限に発揮できた年でした。
僕が中学2年生のときにJリーグができて、自分もプロになるんだという目標を当然持ったわけです。その目標が実現したというのも感慨深いものがありました。

ただ、W杯に関してはプロに入って間もない時期にいきなりでしたので、正直どれだけすごい大会なのかとか感じられてはいなかったんですよね(笑)。他の試合と同じように必死にやっていただけでした。試合になればベンチで『早く試合に出してくれ!』と思いながら座っていましたので、胸を張って『W杯に出た!』という感じではなかったんですよね.

- ほんの少し前まで高校の教室で制服を着て授業を受けていた少年が世界の舞台で戦うことになる。さすがの小野氏も決して泰然とできていたわけではなかったという。

小野氏 : 余裕はありませんでした。一緒に戦った選手たちも同じチームからは岡野さん(岡野雅行氏)しかいなくて、ほかはテレビで見ていた人たちばかり。とはいえ高校の先輩方もたくさんいてくれて気を遣ってくださったので入るのは入りやすかったのですが、一番下っ端ですからね(笑)。

- とはいえ、1993年「ドーハの悲劇」、1997年「ジョホールバルの歓喜」双方で主力として出場した三浦知良氏が本戦メンバーから外れ、代わりに18歳の若き天才・小野氏がその才能の一端を披露したという世代交代の側面からも大きな存在感を示した大会となった。

サッカー人生を変えた運命の「7月5日」

小野 伸二 氏
- 幸せな時間は長くは続かなかった。1999年7月5日、この日が小野氏の運命を大きく変えていくことになる。

この日、シドニーオリンピックのアジア地区一次予選のフィリピン戦が行われた。香港、フィリピン、ネパール、マレーシアと同組となっていた日本は、1次予選の1位通過がすでに決定していた。その日、格下とされていたフィリピン代表相手にほぼベストメンバーで臨んだ。

前半31分、小野氏の左側から猛烈な勢いでスライディングで滑り込んできた選手の体が左膝を直撃。小野氏はピッチに倒れ込んでしまう。診断を受けた結果、左膝靭帯が断裂。長期離脱を余儀なくされるとともに、リハビリを経て復帰して以降も慢性的な痛みを抱えることになってしまう。

小野氏 : ケガをしてしまったことに関しては自分の中に驕りがあったということも感じますし、ひとつの油断が大きなケガにつながるんだなということも学べたこともあります。
サッカーをやっていれば、スポーツをやっていればケガはつきものですから、ケガがあって良かった悪かったというよりも、自分が調子に乗っていたんだなという気持ちではありますよね。

- 他媒体でのインタビューでは、このケガを振り返って「リハビリ後、ピッチの全体像や誰がどこを走るといった『イメージ』がわかなくなってしまった」とその苦悩を語っている(LINE NEWS「「あのケガあっての自分」小野伸二、波乱のサッカー人生を語る」)。

苦しい治療とリハビリを経てピッチになんとか復帰した。その支えになったのがサポーターの存在だったという。

小野氏 : サポーターに少しでも良いものを見せなきゃいけない、応援してくれている人がいるから自分はサッカーができているという感謝の気持ちでどんな怪我も乗り越えられました。

- 復帰直後の2000年には、J2に降格していた浦和レッズを弱冠20歳でキャプテンとして牽引、チームの中心となりJ1へ昇格させている。

小野氏 : 20歳でキャプテンに任命されたので、まだまだ一回り上の先輩方がいらっしゃいました。とにかく試合の中で良い結果を出す、良いパフォーマンスを毎日出し続けるということしか考えていませんでした。キャプテンだからチームをまとめようとはそんなこと自分でできるわけではないし、みんなで協力していただきながら、先輩方に支えられての毎日でした。

- 2001年にはFIFAコンフェデレーションズカップ2001日本代表の中心選手として再び躍動、準優勝に貢献するなど徐々に調子を取り戻していく。

<後編に続きます>

<前編はこちら>

Profile

小野 伸二 氏

1979年静岡県沼津市生まれ。元プロサッカー選手。元日本代表。ポジションはミッドフィルダー。FIFAワールドユース準優勝、FIFAコンフェデレーションズカップ2001準優勝、日韓ワールドカップGL1位通過、UEFAカップ優勝、アジア年間最優秀選手賞など、数々のタイトルを獲得。FIFA世界大会、UEFAクラブ国際大会のすべてに出場した唯一の日本人選手としても知られている。2023年12月、サッカー選手を引退した。