元華族にして、母方が皇族に連なる高貴な血筋。その世界で交わされる挨拶は「ごきげんよう」。そんな家に育った女性がいけばなの名門・池坊家に嫁いだらどうなるのか……? 結婚後に感じた「逆カルチャーギャップ」や現池坊家家元の専永氏との出会いについて聞いたロングインタビュー。
取材・執筆/山口和史 Kazushi Yamaguchi 写真/西田周平 Shuhei Nishida
「ごきげんよう」が飛び交う世界 華族令嬢の「日常」
― その世界では、朝の目覚めから夜の眠りにつくまで、交わされる挨拶はすべて「ごきげんよう」だ。池坊保子氏が生まれ育ったのは、元華族であり、母方が皇族に連なる高貴な家系。しかし、彼女自身はその特殊性を意識することなく、ごく自然なものとして受け止めていた。
池坊 保子 氏 (以下 池坊氏): 母は学習院なんですけど、学校は学習院しか知らないんですね。元華族の娘で、皇族でもある。だけど母はそれが特別ということも知らないんです。そんな家庭に育ちましたから、私にとっては当たり前だったんです。
― 周囲もまた同じ境遇であったため、比較対象が存在しない。近所の家に「ピンポン」と呼び鈴を鳴らして遊びに誘うような、一般的な子どもの日常はそこにはなかった。
池坊氏 : 生まれた時に朝起きたら「ごきげんよう」、父が出かける時も「ごきげんよう」、寝るときも「ごきげんよう」。すべてごきげんようですね。父や母に対しては敬語で、それはもう当たり前。みんながそうしているんですから。
― 徹底された環境の中、5人姉弟の彼女は少しばかり「外れた」存在でもあったようだ。
池坊氏 : たとえば父の前で足組んだりするんですけど、私の姉はね、典型的な両家のお嬢様だったから「保子ちゃん、イヤだわ、パパの前で足なんて組んで」と、言ったりしていましたね。
と、当時を振り返る。
― やがて大学に進学し、外の世界に触れる中で、自らの育った環境の特殊性を知ることになる。失恋した同級生が「寂しかったからお母様のお布団の中で寝たわ」と語るのを聞いた時には、「一緒の布団の中で寝るんだ!」って、心底驚いたという。その背景には、独特の養育環境も影響している。彼⼥の⺟⾃⾝が乳⺟に育てられたように、 実家の姉と兄もまた、乳⺟の⼿によって育てられた。
池坊氏は戦時中だったこともありお手伝いさんに育てられた。実母が唯一自ら育てたのは、一番下の弟だけだった。
池坊氏 : だから、母にとって可愛い子どもって弟なんですよ。弟しかいないぐらいね(笑)。
― この経験を通し、彼女はサン=テグジュペリの「星の王子さま」の一節を引いて、愛情の本質を考察する。
池坊氏 :「星の王子さま」の中でね、サン=テグジュペリがバラは自分で面倒を見るから愛情が湧くんだよって。本当だなと思うのね。
― この、常人には計り知れない厳格さと特殊性を内包した世界。その中で愛情を一身に浴びながら育った彼女は、明晰な頭脳と人望、意志によって、自身の、そして国民の未来を切り開いていくことになる。
映画のように始まった恋 ふたりの距離を縮めた「偶然」

― 夫となる人物との出会いは偶然ではなかった。「そもそも親戚なんです」と彼女は語る。村上源氏久我家に連なる公家・華族の家系である梅渓家に生まれ育った彼女の一族と池坊家は、もともと縁戚関係にあった。後に夫になる専永氏とは、幾重にも織りなされた縁の糸で結ばれていたことになる。初めて会ったのは19歳、大学1年生の時。親戚の集まりで初めて彼と顔を合わせる。
池坊氏 : 大学時代ってね、ボーイフレンドがいっぱいいても、頼りないじゃないですか。9歳年上の、すごく物静かで私にとってはかっこよく見えたんです。
― 二人の距離は、彼が初めての海外旅行から送ってくる絵葉書によって、少しずつ縮まっていった。その異国からの便りは、若き日の彼女の心をときめかせたに違いない。生粋のお嬢様と華道の名門の御曹司。まるで映画「ローマの休日」のようなデートもした。
池坊氏: 銀座を歩いていたら、ちょっと休もうと「喫茶店を知っているか」と聞かれたの。そんな詳しいわけではないけど、当時の友だちと行ったお店があったから連れて行ったのね。そうしたら、今はもうないけど、当時はアベックシートって言って男女が横並びに座る席があったのよ。そこに案内されちゃって。
― 行ったことがあると言っても、同級生4~5人と訪れている店。テーブルで過ごしている。出会って間もない若き日のふたり。当然、ドギマギする。
池坊氏: 彼は「この人19歳なのにこんなお店に来るんだ」って顔をするし、私は「どうしよう」って慌てるし(笑)。でも、そのおかげで話が盛り上がって、結果的には良かったと思いますね。
― とはいえ、彼女が嫁いだのは、連綿と続く歴史を持つ華道の名家であり、聖徳太子が建立したとされ、親鸞聖人が浄土真宗を開いた地でもある紫雲山頂法寺、通称「六角堂」。将来の家元であり、歴史と伝統を背負う住職の妻となったのである。誰もが堅苦しく、格式を重んじる生活が待ち受けているのだろうと想像したに違いない。
池坊氏: すごく堅苦しかったでしょうとおっしゃるんですけど、むしろざっくばらんなんです。平気でお風呂から上がって、パジャマのままご飯食べたりね。実家ではそんなことありえませんから。
― 厳しく躾けられた池坊氏にとって、「ゆるすぎる」。それがカルチャーショックだったそうだ。この、いわば「逆カルチャーショック」とも言える経験は、彼女が自らの価値観を再認識し、新たな世界で生きていく上での重要な礎となっていく。
Profile
池坊 保子 氏
1942年東京都出身。旧華族・梅溪家の三女として生まれる。学習院大学進学後、華道池坊の家元・池坊専永氏と結婚。池坊学園理事長やお茶の水学院学院長などを歴任し、華道の普及と発展に尽力した。
1996年に衆議院議員初当選、以降5期・16年務める。文部科学大臣政務官、衆議院文部科学委員長、文部科学副大臣などを歴任し、特に教育・科学技術・文化芸術分野での政策推進に力を注いだ。政界引退後も、特定非営利活動法人萌木理事長、学校法人いわき明星大学理事、公益財団法人日本相撲協会評議員会議長、横綱審議委員会委員など多方面で活躍して
いる。主な受章に旭日大綬章。著書に『華の血族』などがある。
