リーガルエッセイ
公開 2026.09.14

「心中」という呼び名の変更について思うこと

記事を執筆した弁護士
Authense法律事務所
弁護士 
(第二東京弁護士会)
慶應義塾大学法学部法律学科卒業。司法試験に合格後、検察官任官。約6年間にわたり、東京地検、大阪地検、千葉地検、静岡地検などで捜査、公判を数多く担当。検察官退官後は、弁護士にキャリアチェンジ。現在は、刑事事件、離婚等家事事件、一般民事事件を担当するとともに、上場会社の社外役員を務める。令和2年3月には、CFE(公認不正検査士)に認定。メディア取材にも積極的に対応している。
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「心中」という呼び名の変更について思うこと

「保護者の自殺を伴う虐待死」

親が自ら死を選ぶにあたって、自殺に先立って子どもを死に至らせるといういたましい事件が報じられることがあります。

私自身も検察官時代にそのような事件の捜査、公判を主任検事として担当したことがありました。

具体的な話はできませんが、当時、処分や求刑、取調べにおいて私はいったいどのような問いを投げかけるべきなのだろうかということなどを悩みに悩んだことを今でも思い出すことがあります。

先日、こども家庭庁の専門委員会が、児童虐待の分類として、これまで「心中」と呼んできた事案を「保護者の自殺を伴うこどもの虐待死」に変更した旨報じられました。

心中というのは、合意の上でともに死ぬことを指す言葉。

そう考えると、親が、自ら死を選ぶにあたり、子どもをあとに残していくわけにはいかないと考え、自殺に先立って子どもを死に至らせるということが「心中」でないことは明らか。

報道によれば、こども家庭庁の専門委員会が呼び名を変更した趣旨もここにあり、「保護者に殺害される虐待」であることを明確化するための変更であるとのことです。

この記事を読んだとき、まず思ったのは、「この趣旨についても変更自体についても異論があるわけではないけれど、そんな名称変更より先にもっとやることがあるだろう」ということでした。

その名称変更をすることで変わることってなんだろう?

社会全体が、自殺しようとする親が子どもを巻き添えにしようとすることは心中ではなくて虐待なんだ、殺人なんだということを明確に認識できるようにするため?

そして、子どもは親の所有物などではなくて、ひとりの独立した人間であって、どんな理由があっても、その命を奪うことなど絶対に許されないのだということを明らかにするため?

いずれも、当たり前のこととして必要なことなのだということはわかる。

でも、この名称変更の背後にあるメッセージを受け取るべきはいったいだれなのだろうか。

いろいろな状況下で、死を選ぼうとしてしまっている親が、大事なわが子が親亡き後にどのように生きていくのだろうかと想像し、絶望し、「子をともに連れて行くことが子のためにできることなのではないだろうか」という思いでいっぱいになっているとき、そもそも、このメッセージを目にする機会などないと思うけれど、いつか目にしていたこのメッセージを仮に思い出したとして、そのメッセージはどう届くのだろうか?

「あなたのやろうとしていることは、一人の人間の命を奪うという犯罪なのだ。虐待行為なのだ」という事実が突き付けられることになるのだろうか。

それって、果たして、これを突き付けられた人を引き戻す力になるのだろうか。

より深い絶望を味わう結果になるのではないだろうか。

そんな風に思ってしまったから。

そんなもやもやした思いを抱きながら、こども家庭庁のホームページを見てみたところ、おそらく少し前に公表されたものと思われる「特集『心中事例とその背景について』」という資料を発見。

分析データに基づき、「まとめ・提言」として、周産期及び乳幼児期の母のメンタルケアや伴走支援、子どものSOSを受け止める体制作り、複合的な課題を抱える家庭への関係機関連携による支援、自殺対策関連施策との連携などとあわせて、「『心中は虐待である』という認識の周知・啓発」が挙げられ、「国は改めて、社会全体に対して心中は虐待であるという認識や、こどもは保護者の所有物でなく、権利の主体であるという認識を持つことができるよう、周知・啓発を推進していくことも重要」と締めくくられていました。

この資料を見つけたときには、正直、少し期待したんです。

名称を改めるのであれば、その先には、このような状況に至る親が何に追い詰められ、どの時点で、どのような助けがあれば引き返すことができるのかを、もっと切実に掘り下げた検討があるのではないかと思ったから。

けれども、読み進めても、そこにあったのは、もちろん大切ではあるけれど、どこか通り一遍にも見える提言だった。

そして最後に置かれていたのも、「心中は虐待である」という認識の周知・啓発。

読後に残ったのは、やはり、「それを伝えて、いったい何が変わるのだろう」という思いでした。

現実には、子どもの障害や医療的ケア、経済的困難、孤立、自身の心身の不調など、複数の事情が重なり、「もう今この瞬間に助けてほしい」と追い詰められることがあります。

私もあります。

その親が、児童相談所や自治体の障害者支援の窓口などに電話をしても、「まずはお話を聞きましょう。こちらに来ていただき、お話を聴きたいのですが、いつ来られますか」と案内されることも多々あります。

「そんな悠長に後日相談などということを考えることができない状態なんです」と言えば「切迫しているなら警察へ」と言われることもある。

各窓口の対応には制度上、人員上の事情があり、一概に非難することなどできません。

でも、相談する側にとって、その「数日後」までをどう生き延びればよいのか。

今、子どもを傷つけてしまうかもしれない、自分も消えてしまいたいと思っている人に、「予約を取ってください」という案内だけで足りるのだろうか。

死を選ぼうとする前に、何度も何度も、形を変えて助けを求めていた人もいるはずなんです。だれかに気付いてほしくて、外出先でわざと大きな声で子どもを叱ってしまったこともあるのではないか。

周囲から見ればただの「困った親子」のように見えるその場面が、実は、助けを求める切実なサインだったことはないのだろうか。

もちろん、すべての危機を行政だけで受け止めることはできないし、個々の支援者が一人で背負える問題でもない。

だからこそ、必要なのは、正しい言葉を社会に広めることだけではなく、助けを求める声を受け止め、緊急度に応じてその日のうちに人や場所につなぐ仕組みを、地域ごとに本気で整えることなのではないかと思います。

電話を受けた窓口が「担当外です」と終えるのではなく、次につながるまで伴走すること。親だけでなく子どもの安全も含めて、福祉、医療、保健、教育、警察、民間支援がためらいなく連携できること。

夜間や休日も含め、「今から行ける場所」「今夜を越えるための支援」が見えること。

そうした具体的な支援の積み重ねこそが、取り返しのつかない事態を防ぐ力になるのではないか。

そして、これは国や自治体だけに求める話でもないと思います。

近くにいる家族、学校、医療者、支援者、地域の人、そして法律家もまた、「こんなことで相談してよいのだろうか」とためらう人が、助けを求めるまで待たずに済むように、できることを考え続けなければならないと思う。

弁護士として何ができるのか、私自身、まだ明確な答えを持っているわけではないけれど、それでも、制度の隙間に落ちてしまう声を丁寧に聞くこと、必要な支援先につながる道筋を一緒に探すこと、支援につながらなかった出来事を個人の問題として終わらせず、仕組みの課題として伝えることはできるかもしれない。

一つ一つ、小さくても実行していきたいと思います。

「心中は虐待である」という言葉が、ただ人を責めるための言葉で終わるのではなく、子どもの命を守るために、親を孤立の中から引き戻す具体的な支援へとつながる言葉になるように、何が足りないのかを、私も考え続けたいと思います。

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