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学生たちとのやりとりで思ったこと②
先日、ある大学で学生たちに講義をした際のやりとりを経て思ったことの1つ目をお話ししました。
今回は、2つ目をとりあげてお話しします。
私は、いろいろな場面で、だれからも何も聞かれていないのに、「私は鋼メンタルですから」とか「何ができなくてもこの強靭なメンタルさえあればやっていけると思ってます」とか「いや、検察庁という厳しい環境で鍛えられましたから、ちょっとやそっとのことではへこみません」とか、ぺらぺらと言ってしまうことがあります。
でも、これは完全なうそです。
自分を、何があってもくよくよすることのない強靭メンタルの持ち主だと装うことで、クライアントからの信頼を得たいとか、強い女性だと思われたいとか、そんな欲の表れだと思うのです。
実際は、鼻息程度でも吹き飛んでしまうほどの弱弱しさ。
しかも、たぶん、わかりやすいうそは、お相手からもあっという間にばれているはずなので、お恥ずかしい限りです。
先日、学生さんたちに、私が、これまでの道のりで自身の激弱メンタルとともに生きてきたエピソードをお話ししたことについて、「実は、自分もメンタルがとても弱く、すぐに落ち込んでしまう。だから、メンタルが弱くても仕事を続けられるのか不安があった」と打ち明けてくれる学生さんが何人もいました。
その思いがつづられているレポートを読むと、メンタルの弱さが、とても恥ずかしいことで、社会で生きていくためには邪魔になるもので、なんとかして克服しなければならないものであると捉えられているように感じました。
たしかに、私も、自分が、こんなに小さなことにいちいち心を痛めたり、怒りの感情に自分自身が支配されてダウンしてしまったり、人の言葉をネガティブに捉えて、その人の目を見られなくなってしまったり、いちいち世間の小さなとげに反応してしまう心を恨みに思うことが多々あります。
もっと、どんと構えて、うまくスルーすることができる自分だったら、もっと生きることが楽なんだろうなと思います。
でも、この弱さゆえ、私は、自分の弱い心を守るためのいろいろな術を身に着けることができてきたと思うし、ネガティブなことばかりでなくて、人の温かさにも人一倍心が動く感性をもてていると思うし、人が傷ついていることにも気付きやすくなれているとも思うのです。
きっと、もうこの弱さは変わることなく、これからも弱いままなのだろうと思うけど、そんな弱さともずっと付き合っていこうと腹をくくっています。
そして、心が敏感であるということは、自分がどんなことに対して心がマイナスに、プラスに動くのか、という情報を受けとる機会がたくさんあるということでもあって。
苦しい心境になったときに、「お、自分は何にこんなに動揺しているのか?なにに傷ついているのか?」と問いかけながら、「また自分を知るきっかけをいただけた!」と受け止めることができると、起きる出来事ひとつひとつに対し「むしろ、よかった」と感じることができているように思うのです。
どうしたら伝わるかな、抽象的な話になっていないかなと不安に思いつつ、たどたどしくも一生懸命話したところ、学生さんからもらったレポートに「自分のメンタルの弱さを受け入れられる心境になった」と書いてあるのを見て、恥をさらして話すことができてよかったなと思いました。
学生さんたちと話しし、学生さんから「今のタイミングで聴けてありがたかった話がたくさんありました」と言ってもらえたことで、私も、自分の大学時代の苦しくてしかたなかった思いをすっと昇華させられたような気持ちになりました。
貴重な機会をいただけたことに感謝。
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