リーガルエッセイ
公開 2026.06.04

「性的同意」について思うこと

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記事を執筆した弁護士
Authense法律事務所
弁護士 
(第二東京弁護士会)
慶應義塾大学法学部法律学科卒業。司法試験に合格後、検察官任官。約6年間にわたり、東京地検、大阪地検、千葉地検、静岡地検などで捜査、公判を数多く担当。検察官退官後は、弁護士にキャリアチェンジ。現在は、刑事事件、離婚等家事事件、一般民事事件を担当するとともに、上場会社の社外役員を務める。令和2年3月には、CFE(公認不正検査士)に認定。メディア取材にも積極的に対応している。
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性的同意について思うこと

中高生のお子さんをもつ親御さんと話をしていたとき、子どもへの性教育をすることの難しさが話題になりました。
そんな課題認識がまったくなかった私が、「子どもへの性教育が難しいっていうけど、どこらへんが難しいって感じるの?」と聴くと「いったい何からどう話していいかわからない」とのこと。
なるほど、そうなのかと思うとともに、たしかに、そうやって「性教育たるもの、どう進めるべきか」と考え出すと、私もどうしていいかよくわからなくなるなと思いました。
何歳から始めるべきか。
何から説明すべきか。
どこまで説明すべきか。
私も、そのような問いへの答えをもっているわけではないのですが、個人的には、「性的同意」について子どもたちに伝えていく必要性を常々感じています。
性的同意というのは、性的な行為や発言を行う前に、お互いが確認しあうこと。
性的同意について考えるとき、いくつかのポイントがあると思っています。

1つめは、対等な関係性にあること。
先輩と後輩、上司と部下、先生と生徒、コーチなど指導する側とされる側、というような、一般的に上下の関係性は、意思形成に影響してくることがある。
だから、そのような関係にある間柄で相手の意思を確認するというときには、上の立場にある人は、相手は自由な状態で意思形成、表示できているのかを慎重に確認する必要があるのだろうし、下の立場にある人は、「果たして自分は、自分の自由な意思で判断できているのだろうか。自分の気持ちを大事にできているのだろうか。その意思形成過程に、不安や恐怖などが混じってしまっていないだろうか」と自分自身の内側を丁寧に見てあげる必要があるのだと思います。
ちなみに、「上の立場」とか「下の立場」っていう表現はとても抵抗があって、なんとも違和感がありつつも、当たり前のことだけど、人に上だの下だのがあるという前提にたっているわけではなくて、なんというか…形式的な肩書というか社会で与えられた立場というか組織図上のものというか。
一般的に、こういう関係性にある場合に意思形成や意思表示に何らかの力が作用しそうだよね、という関係性を、「上」「下」と表現したまで。
念のため。

2つめは、その行為のもつ意味やリスクを理解した上で自ら判断ができる状態であること。
泥酔や酩酊など、正常な判断ができない状態では、そもそも同意できないというのは言うまでもないのですが、それ以外にも、恐怖や自分の身に迫る危険を感じているなど、フラットな状態で意思形成ができない、選択肢が限られてしまっている場合も同意できる状態ではないといえるでしょう。

3つめは、明確な言葉で確認されるべきであること。
自分の常識に基づいて、「こういう態度や行動があれば、同意しているはず」「この言葉は、イエスを指すはず」と判断することで、相手の思いとの間にギャップを生じさせることも。
「明確な言葉で確認するなんて、野暮なことを…」という発想は、相手の思いを無視することにつながりかねないともいえると思います。

性的同意について、このようなポイントを認識する必要があると思うのですが、私がこれまで検察官として、弁護士としていろいろな問題と向き合う中で痛いほどに感じたのは、「同意」ということについての知識を身に着ける必要性ではなく、もっと根本的なところに対する問題意識です。
それは、「嫌なことを嫌と言う」ができないとか、自分の気持ちを無視し、いつも無意識に「相手は自分にどうしてほしいのだろうか」と考え、「相手はこう望んでいるだろう」を最優先にしてしまうとか、そういった「自分の気持ちを後回しにすることが当たり前になってしまっている」という状態そのものへの問題意識です。
つい先日、知人が、「最近、うちがママ友さんたちのたまり場みたいになっていて、しんどいのよね」と言っていたのです。
私は、その話を聴いて、ものすごく不思議に思いました。
公園みたいなオープンな場に自然と人が集まってそこがたまり場になるっていうのはイメージできるのだけど、人の家がたまり場になるって、どんな状況なのだろう?
知人の家の鍵は常に開いていて、外から人が自由に入ってくることのできる状態になっているってことなのだろうか?
そのままその疑問を知人に投げつけてみたところ、「いやいや、そんなわけないでしょう!グループチャットで、『明日、行きたい!』みたいなやり取りがあるわけ。でも、そんなこと言われて断れるはずないでしょう?そんな状態がずるずる続いているわけよ」と言うのです。
嫌だったら、嫌と言えばいいのに。
そもそも、そんなやり取りが繰り広げられること自体がストレスなら、そんなグループチャットから抜けてしまえばいいのに。
それによって関係が悪化する?
子どもたちの関係性にまで影響する?
自分が嫌なことを嫌ということで関係性が悪化したとして、それによっていったい何が起きるというのだろう。
そもそも、関係性が悪化しなくてもいいような自分の気持ちの伝え方っていうのもあるのではないだろうか。
そんな風に考えたところで、でも、待てよ、と思いました。

日常生活で、自分自身が目の前のことにどう感じているかを丁寧に確認すること、その上で、
そこで確認できた自分の気持ちを言葉にして相手に伝えることって、一見シンプルなことに思えるけど、ある人にとっては途方もなく難しいことで、それはその人の弱さではなくて、そうなるだけの理由がある場合もあるだろうし、あとは、ある人にとっては「相手に伝えようと思えば伝えられるけど、気持ちをそのまま伝えるよりも優先したい何かがあるのかもしれず。

いろいろなケースがあるのだと思うし、そもそもの性格のようなものも大きく作用するものだと思うし、もっといえば、「自分の気持ちを相手に伝えられることが善である」という価値観だって、いろいろある考え方のひとつにすぎないのだから、あくまでも私個人のひとつの考え方に過ぎないという前提で。
私は、自分の気持ちを自ら丁寧に確認したり、それを他者に伝えたりということって、子どものころから、繰り返し繰り返し練習することで、少しずつできるようになることもあるのかなと思っていて、また、そういった習慣の延長上に、性的同意の問題も位置づけられるという考え方もあるのでは?と思っています。
性的同意について、特別な性教育として位置づけ、教える前に、日常生活の中で、自分の意思を確認してそれを言葉にする練習を重ねることもひとつ大事な教育になるのではないかと。

私は、子どもを愛おしく思う感情があふれやすく、ついつい、自分のタイミングで子どもに抱き着いたり、頬をむにむにしてみたり、頭をなでてみたりしては「やめてー」と嫌がられ、それでも、「いいじゃんいいじゃん」なんて言いながら絡んでしまいがち。
でも、本来は、それも子どもの気持ちを無視した勝手な行動なのかもしれないなと思う。
当たり前のことだけど、子どもにも意思があって。
「今は触られたくない」
「今は話しかけてほしくない」
そういったひとつひとつの気持ちにちゃんと耳を傾けて、その意思を尊重する必要があるはず。
私にとっては小さなことに思えても、「これくらい当然許されるでしょ。別に本心で嫌がっているわけじゃないでしょ」と私の常識で子どもの気持ちを勝手に判断して行動してしまうことが当たり前になってくると、それがエスカレートしていったとき、私は、子どもに対し、たとえば、「こうすることが子どもの将来にとっていいことのはず。子どももいつかこの選択を肯定できるはず」などと考えて、進路選択に関して私の意見を押し付けようとしたりしてしまうといった行動に発展してしまうのではないか。
その過程で、子どもの中には、「嫌だって言っても、どうせ理解してもらえない」とか「なんとなく嫌だけど、相手との間のトラブルを避けるためには相手の言うとおりにしておこう」などという習慣が育ってしまうなんてこともあるかもしれない。
そして、同意が求められる場面に直面したときに、「自分の本当の思いはどこにあるのか」を考えずに無意識に相手の顔色を探るようになってしまったり、嫌だと思っても、それを言えなくなってしまったり、ということにつながってしまうのかもしれない。
そんな風に考えてくると、私自身、自分の課題が見えてくるような気がします。
日常の中で、小さなことであっても、いちいち子どもの意思を確認すること。
子どもが「嫌」と言ったとき、まず受け止めるということ。
もちろん、社会のルールや安全のために、その「嫌」が通らないこともある。
でも、「なぜ嫌なのか」を聞き、気持ちを言語化する機会を作ること。
「嫌と言ったら怒られる。嫌われる」でなく、「嫌と言ったら、まずはその思いを聴いてもらえる」という経験を当たり前にすること。
その積み重ねで、「断っても関係は壊れない」を体験させること。
「今日は、これをやりたくない」と言っても、親はちゃんとそこにいる。
「これを食べたくない」と言っても、愛情は何も変わらない。
これをひとつひとつ経験し、体感していき、当たり前のことにしていくことが、断ることを含め、「自分が自分の気持ちを表現しても大丈夫」という前提を形成するのかもしれないなとも思うのです。
あくまでも一意見として。

性的同意の話から始まり、ちょっと遠いところに着地してしまった感じもしなくもないですが、私は、性的同意についても、もっといえば、弁護士としてお受けするさまざまな法的トラブルの多くについても、個々の意思確認やその表現に関わる問題が根っこに横たわっていることがあるように思うのです。
いろいろな考え方があると思うので、何か結論を導くことはできないのだけど、私は、子どもと関わるにあたっても、いろいろな人と関わるにおいても、その人が自分の内側に見つけた感情を安心して表現できる相手であれるように努めていきたいと改めて思いました。
未熟者であるがゆえに、ハードな道のりだとは思いますが、その姿勢を見せることは、性的同意のなんたるかを教えることにとどまらず、性教育、法教育としても大事な一歩になるのではないかなと思います。

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