リーガルエッセイ

「クレド」という言葉を知っていますか?

記事を執筆した弁護士
Authense法律事務所
弁護士 
(第二東京弁護士会)
慶應義塾大学法学部法律学科卒業。司法試験に合格後、検察官任官。約6年間にわたり、東京地検、大阪地検、千葉地検、静岡地検などで捜査、公判を数多く担当。検察官退官後は、弁護士にキャリアチェンジ。現在は、刑事事件、離婚等家事事件、一般民事事件を担当するとともに、刑事分野の責任者として指導にあたる。令和2年3月には、CFE(公認不正検査士)に認定。メディア取材にも積極的に対応している。

クレド

「クレド」という言葉を聞いたことはありますか?
私は、学生時代に読んだ本だったか雑誌だったか忘れてしまったのですが、そこに書いてあったある事件をめぐるストーリーを読んで知りました。
その事件は、1982年、アメリカトップシェアと言われていた解熱鎮痛剤タイレノールを飲んだ人が立て続けに亡くなったというもの。
結局、原因は製造工程にあったのではなく、悪意ある犯人が、購入したタイレノールのカプセルの中身をシアン化合物に入れ替えた上でドラッグストアに陳列させたものと推定されているようですが、私自身が報道等されている情報の限りでしか把握していないため、タイレノール事件の真相について突き詰めてお話ししたいものではありません。
私が感銘を受けたのは、タイレノールを販売していたアメリカのジョンソン・エンド・ジョンソンが、当時、いかに対応したかということでした。
細かい点は、読んだ当時の記憶が少しあいまいなのですが、ジョンソン・エンド・ジョンソンのCEOは、ただちに、「まず考えるべきは顧客をどう守るかということ。その次に商品をどう救うかを検討する」という内容の指示をしたとのこと。
そして、会社は、その指示に従い、すぐに新聞、テレビなどを通して、タイレノールを使用しないように消費者に警告するとともに商品をすべて回収する手続きを進め、専用フリーダイヤルも設置。
さらには、当時はまだどこでシアン化合物が混入したかわからなかったことから、会社では当時公開していなかった秘密にわたる情報も積極的に開示して検査機関に徹底した検査を委託するといった対応もとったとのこと。
このような会社の2か月間にわたる対応の結果、タイレノールは、それを服用したかたが複数亡くなるという会社や商品にとって致命的ともいえる事件発生からわずか2か月間で、事件前の売り上げの80%まで回復したといわれています。
のみならず、このタイレノール事件をめぐるジョンソン・エンド・ジョンソンの危機対応は、すばらしい危機対応として語り継がれています。
優れた危機対応は、危機によって受けた会社のダメージを速やかに回復させるにとどまらず、会社に対する社会の信頼をより強固なものにするということにもつながるのだと思わせる話だと思います。
ではなぜジョンソン・エンド・ジョンソンは、突然発生した危機に直面したとき、後に振り返ってすばらしいと評価される対応ができたのか?
それは、CEOがすぐさま「まず考えるべきは顧客をどう守るかだ」と明らかにし、そのためには何をすべきかを即座に指示したからといえるでしょう。
ここで、「まず考えるべきは自社の商品や自社の株主」と考えていたら?
もしかしたら、「事件の一報を全国的に発表する前に、自社に落ち度があったのかどうかを調べてから、自社には落ち度がないということとセットでこの事件を発表したい」とか「外部の犯人により起きた事件で、被害はこれ以上拡大しないという見通しをあわせて発表することで商品の回収は避けたい」などという判断もあり得たかもしれません。
そのような判断により、会社が被害を知ってから発表するまでに数日間が経ったとしたら、後にこの点が発覚したとき、「もしその間に被害が拡大していたらどう責任をとるつもりだったのか」と糾弾されたかもしれません。
商品や会社への信頼は地に落ち、タイレノールの売り上げ回復どころか、タイレノールや会社の存続に関わっていた可能性すらあったのではないでしょうか。
では、CEOはなぜ危機的事態に直面したとき、すぐさま「まず考えるべきは顧客をどう守るかだ」と判断できたのか?
それがジョンソン・エンド・ジョンソンの「クレド」だからです。
ジョンソン・エンド・ジョンソンには、「我が信条」というクレドがあります。
会社のホームページにも掲載されています。
「我々の第一の責任は」から始まり、4つの責任が掲げられているのですが、第一の責任がまさに「顧客に対するもの」とされているのです。
ちなみに、最後第四の責任が「会社の株主に対するもの」。
でも、顧客に対する責任を忠実に果たすことにより、結果として第二以下のすべてに対する責任も果たされる構造になっていると思います。

では立派なクレドを作ればそれで足るのか?というともちろんそんなことはないはず。
単に掲げているだけでは、いざというときにそのクレドに沿った対応などできるはずはないのだろうなと思います。
大事なのは、日常の業務にいかにして落とし込むかということ。
日常の業務で判断に迷う場面に直面したとき、常に、クレドに立ち戻ってどうすべきか考える癖をつけるとか、上司が部下の仕事を評価するときに、具体的にこういう行動がクレドを体現できていてよかったと言葉にして伝えるとか落とし込み方はいろいろありそうです。
ジョンソン・エンド・ジョンソンが、日常業務においていかにクレドを落とし込んでいたかはわからないのですが、タイレノール事件における危機対応を見ると、間違いなく、このクレドが会社のあらゆる判断の場面で基準となっていたのだろうと思います。
私は、今、企業内で起きた不祥事調査や対応にあたることがありますが、そのたびに、いつも、頭には学生時代に勉強したこのジョンソン・エンド・ジョンソンの危機対応を思い浮かびます。

そして、この話を思い出すとき、あわせていつも思うことがあります。
それは、会社にとっての「クレド」を、一人の人間としての私自身も常に意識していたいなということ。
何かの本で、人は1日に3万5000回の選択をしていると書いてあるのを読んだことがあります。
そして、一つ一つの選択によって人生が動いていくことを考えると、私は、大小いろいろな選択があるけど、そのいずれも適当に選択するのでなく、考え抜いてその時点で最善の選択をしていきたいなといつも思っています。
そのために、その都度、その時々の感情や状況でなんとなく決めるのでなく、「私が人生で大事にしていることは何か」ということに立ち戻って、「その観点からはこの選択をどうしようか」と考えるようにしています。
つまり、選択する場面では、常に自分にとっての「クレド」に立ち戻るということ。
そうすると、数々の選択が線になったとき、自分がすてきだなと思う場所に立っていられるように思うし、仮に思っていたのと違う状況に直面しても、過去の選択を後悔することもなく「きっとこの状況にも意味があるのだろう」と前向きに捉えることができるように思うのです。
クレドから話は完全に反れるのですが、私は、1日の選択の回数を極限まで絞ることで、1個1個の選択により集中できるような気がしています。
1日の選択回数を絞るために、一部を習慣化してしまうんです。
そうすることで、選択すべき場面をできる限り少なくし、本当にすべき選択に時間と労力をかける。
先日、そんなことを嬉々として友人に語っていたら、一言「つまらん人生だな。まあ、『らしい』けどな」と言われました。
たしかに、企業内不祥事対応とクレドの日常業務への落とし込みの話と、一人の人間の人生と日々の選択の話を同じように考えたり、日々の選択を減らすために習慣化を図ったり、一つ一つの選択のたびに「信条に立ち戻ればどうなるか?」などと考えたりしている人間は、なんだか堅苦しく、面倒くさく思われてしまうのかもしれません。
なによりも「らしい」という一言が妙に心にひっかかります。
たまには、深く考えずにその時の気分でえいっと選んでみたり、普段の自分の信条とはあえて違ったほうを選んでみたり、習慣と違う行動をとってみたりすることで、思ってもいなかった展開になることを楽しむくらいの余裕があってもいいのかもしれませんね。

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