<メディア関係者の方>取材等に関するお問い合わせはこちら
グループチャットからの突然の退出事件
先日、わが家では、子どもが、あるコミュニティのグループチャットから突然退出するという騒動が起きました。
子どもは、そのコミュニティが大好きで、そこに所属するメンバーのかたたちも大好き。
そして、大好きがゆえに、そこで繰り広げられるやりとりが気になってしまう。
自分の発信に対する他のかたたちの反応を見ては、「これはいったいどういう意味だろう」「私の言った意味が誤解されているような気がする」などとあれこれ考えてしまうようなのです。
そして、そんなことを考えているうちに疲れ果ててしまって、もしかしたら、そのグループチャットから抜け出したら気持ちがすっきりするのではないかと思った様子。
事前に相談されたので、私は、「どういう状態になりたいの?」と聴きました。
すると、「執着してしまっているようでいやなの。すっきりしたいの」と言うので、「だったら、何か別のことでもして、チャットでのやりとりから気持ちをそらせてみるのは?暇だからそんなことばかり考えちゃうんじゃない?」などと言ってみました。
でも、その助言は聞き入れられず、子どもは、そのまま勢いで、えいっと退出してしまったようなのです。
その直後、子どもが泣き崩れてしまいました。
自分はなんとばかなことをしてしまったんだと言うのです。
退出したことで、大好きなコミュニティのかたがたとの接点がなくなってしまったと。
退出すればすっきりするかと思ったけど、全然すっきりしなかったと。
正直、私は、そのような状態になり、結果、何らかの手段で元に戻るというところまで火を見るより明らかだと思っていたので、「言わんこっちゃない」と思いながら、なんだかばかばかしくなってしまい、知らんぷりしていました。
でも、子どもがいつまでもおいおい泣いているので、少し落ち着いたころ、話をしてみました。
子どもは、「時間を元に戻して退出する前の状態にしたい。なんであんなことをしてしまったのか」とひたすら言うのです。
私は、「でも、今の記憶をなしにして、あの時点に戻ったとして、果たして、退出しない選択肢をとるかね?」と聴いてみました。
それを受けて、以下のようなやりとり。
子ども「今の記憶があったら絶対退出しないけど、もし記憶がなかったら、また退出しちゃうかも」
私「だとしたら、もう、あのときの自分には、あれ以外の行動をとることはできなかったんだと受け止めるのもひとつだよね。そうしてみると、何か違う?」
子ども「ちょっと気楽になるかも」
私「うんうん、じゃ、あのときは退出するしかなかったと思えた上で、今はどうしたいの?」
子ども「グループに戻りたい」
私「ほう。退出のきっかけになった『執着』はどうなりそう?」
子ども「執着したくないのは同じ。でも、退出以外の別の方法が考えられると思う。自分がモヤモヤしたことを整理してからみんなに伝えてみるとか。あとは、ママが言ったみたいに、他にも楽しいことをやってひとつのことに執着しないような環境にするとか。なにより、あのグループの人たちが本当に好きだから、これからもかかわっていきたい」
私「そのために今できることは何かありそう?」
子ども「このコミュニティにつないでくれた〇〇さんの連絡先はわかるから、お休み明けに電話してみて、また、つないでほしいと相談してみるとか?」
私「お、いいね。あとはなんかありそう?」
子ども「・・・あ!そういえば、そのコミュニティの中の一人とは個人的に連絡とったことあるから、その履歴がある。その人に、もう一度招待してくださいって相談してみるとか。今やってみようかな!」
私「なるほど。今もうかなり遅い時間だね。居ても立っても居られない気持ちではあるよね。それを優先させるか、それとも明日連絡してみるか、どう?」
子ども「明日連絡するのがよさそう。今日は休む」
そんなやりとりを経て、最後は、私が「まあ、どうにでもなるさ」と締めくくりました。
翌朝、珍しく早く起きてきた子どもが、すぐにコミュニティの一人に連絡し、突然の退出を謝罪して再招待をお願いしていたようでした。
すぐに、そのチャットグループが復活し、みんなからは「おかえり」というメッセージが。
その後、子どもは、その日のうちに、そのコミュニティのかたがたと会い、自分がどんな思いで退出してしまったか、その自分の行動をどう振り返って反省しているか、ということを直接伝えたとのこと。
帰宅した子どもは、グループのみなさんに、「なにやってんだ!」と大笑いされたと恥ずかしそうに、でもうれしそうに話してくれました。
子どもは、今回のことで自分なりにいろいろな気付きを得て、また自分の考え方や行動を顧みる機会を得られたようです。
私が子どものころは、所属するコミュニティといえばリアルなものばかりだったので、関係性を築く段階でも、何か事情があってそこから離れる段階でも、直接のコミュニケーションを重ねざるを得ず、そこに苦労や面倒くささのようなものがあったような。
いや、そこは、リアルだからといって、関係構築や解消が丁寧にされることが当然だったかというと、そうではなかったかも。
私自身、何か嫌なことがあったときに、その思いをコミュニティの人たちに伝えないまま、ふっと関係を断ってしまったこともあったな。
要は、人とのつながりとどう向き合うかという姿勢の問題で、リアルな関係性だとしても、関係構築や解消を雑に行うことは普通にあり得るところかもしれない。
完全にオンライン上の関係性だったとしても、オンラインだからこそ、やりとりを丁寧にしなくてはと努めて、より丁寧なコミュニケーションを重ねることだってあるはず。
そもそも、リアルだとかオンラインだとか、わけることもあまり意味のないことで、オンラインだってリアルといえばリアルなわけだし。
ただ、やはり、オンライン上でのやりとりには、誤解を生じさせてしまいやすい傾向や、心理的に安易に関係を断絶できるかのように思えてしまう傾向があることも否定できないような。
あれこれ考えていたとき、これって、子どもの世界だけのことではないなとも思いました。
ビジネスの場面でも少し形を変えて問題になり得ることがありそうです。
たとえば、あるプロジェクトに関し、そのグループチャット内で指示、報告等がなされることが想定されている場合に、無断でグループチャットを退出してしまったら、社内でペナルティがあり得るか?
そのグループチャット内でやりとりされていたのは、単なる雑談だったとしたら?
いずれにしても、やはり意識しなくてはいけないなと思うのは、自分からは「メッセージ」として表示されている背後に、感情をもったリアルな人が存在しているということ。
当たり前すぎて言うまでもないのだけど、私も、ついつい、そんな当たり前の事実を忘れてしまいそうになることがあるなと思いました。
コミュニケーションの手段は何であれ人と丁寧に向き合う。
子どもの騒動を、一瞬「しょうもな…」と片付けてしまいそうになりましたが、もう少し時間が経ったら、また子どもと今回の騒動を振り返るとともに、私自身も自分のふるまいを見直してみたいと思いました。
初回相談60分無料※ ※ ご相談の内容によっては、有料となる場合もございます
-
電話でご相談予約
-
メールでご相談予約
平日:10:00~最終受付18:00 /
土日祝:10:00~最終受付17:00
