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「鬼が来るよ」は虐待か
少し前になりますが、昔の私用メールの下書きフォルダにいくつかの未送信メールがあるのに気付き、ふと、中身を確認していたときのこと。
その中のひとつに、「そんなことをしていると、そっちにいくよ。おにより」という恐怖のメッセージを発見したのです。
全部ひらがなであったことが、脅迫文としての迫力を倍増させているように思えました。
10数年前に保存したことになっているメール。
すぐに思い出しました。
それは、おろかな私が編み出した最後の切り札、必殺鬼からのメールだったのです。
当時、まだ幼かった子どもが、どうにも言うことをきかず、あれやこれやと手を尽くしてもどうにもならなかったとき、追い詰められた私は、よく「そういうことばっかりしていると、鬼が来るよ」という必殺ワードを使いまくっていました。
最初のころは、「やだ!」と言いながらしぶしぶ言うことをきいていた子どもも、すぐに、「鬼来るとか言いながら、全然来ないじゃん」と言い出し、「鬼来るよ」が何の威力ももたなくなってきたのです。
そこで、必死で考えた挙句編み出した策が、より鬼をリアルな存在として子どもに感じさせるために、私のもとに、鬼からメールが来たという感じにすること。
私は、子どもが癇癪を起こして自力ではどうにもならなくなったとき、「あれ?だれかからメールが来たよ。え?もしかして、これって鬼?」なんて大騒ぎして見せながら、下書きフォルダに保存しておいたメールを子どもに示し、言うことをきかせようとしてみたのです。
でも、意外にメールのやり取りに関する仕組みに詳しかった子どもに、「ママ、おかしいよ。だって、このメール、下書きのところにあるみたいだよ。」と指摘されたことで私も慌ててしまい、「あれ?なんだろうね?間違いメールかな?」なんて意味不明なことを言ってごまかす羽目になった苦い思い出。
それ以降は、「鬼は結局全く使えん!」となって、逆から攻めることにしました。
子どもが当時大好きだった妖精さんやディズニー映画の主人公の名を騙り、「こんにちは〇〇ちゃん、今日は、保育園で、『ママ、お仕事行かないで!』って泣かずに、ニコニコ行ってらっしゃいができるかな?〇〇ちゃんのこと、応援しているわ」なんてお手紙を書いては、それを枕元に置いておいたりするという方法をとることに。
その愚策も、1,2回だけ成功したものの、子どもが、「なんかおかしくない?妖精さん、どうやって私の家に入ってきたんだろうね」なんて真っ当なことを言い出したため、それに対するメルヘンな合理的説明を考えるのもばかばかしくなってすぐにやめたんだっけ。
そんなお恥ずかしい自分のことを思い出したのは、先日、ある報道を見たからでした。
ある保育園で、保育士が、おもちゃの取り合いをしていた子どもに対し、注意する際、子どもの服をつかんで胸に擦り傷を負わせ、また、スマートフォンをもって「警察ですか。すぐ来てください」など話し、警察を呼ぶふりをしたということで、懲戒処分を受けたというのです。
報道からは、これ以上の詳しい事実関係を読み取ることはできませんでした。
私の個人的な印象としては、タイトルから、警察を呼ぶふりをしたから懲戒処分を受けたと読めてしまいましたが、服をつかんで胸に擦り傷を負わせたという事実の重さを考えると、懲戒処分にあたり、警察を呼ぶふりをしたことがどの程度影響したのかということもうかがい知ることはできないなと感じました。
ですので、この報道を離れ、一般論として考えてみたいと思うのですが、このように、子どもに言うことを聴かせるために、「警察呼ぶよ」などと伝えることは、子どもに対する心理的な虐待になるのか?
この問題意識は、警察のみならず、私が多用していた「鬼来るよ」や、それ以外にも「おばけ」「妖怪」など一般的に、子どもたちが恐れる可能性が高いものの存在をちらつかせながら、それらが来て怖い思いをしないために言うことを聴くよう伝えること全般に通じるもの。
心理的虐待というのは、子どもの心に長く傷として残るような経験や傷を負わせる言動を行うこと。子どもの存在を否定するような言動が代表例。それ以外にも、兄弟姉妹との間に不当な差別的な待遇をする場合や、配偶者等に対する暴力や暴言を子どもに見せることも当たり得ます。
では、「警察呼ぶよ」はどうか。
たしかに、よくある事例として掲げられていなかったとしても、状況によって、まさに子どもの心に長く傷として残るような経験や傷を負わせる言動になり得ることもありそうです。
私がしていたことなんて、結果として、あっさり子どもに見抜かれ、幸い失敗に終わったものの、状況によっては心理的虐待にあたり得たと思います。
また、これは心理的虐待と評価できるかという問題。
仮に虐待とまでは評価できなくても、子どもに関わるにあたって、果たして適切なのかということは別途考える必要があるはず。
そして、その結論は、絶対に適切ではないのだと思うのです。
根幹には、「子どもを、子どもが感じるであろう恐怖心を利用して動かす」という発想がある。
そんなことあってはいけない。
また、そのような子どもへの対応は、子どもが、「これやったら恐ろしいことが起きるか否か」によって行動を選択するようになってしまいそう。
でも、考えてみると、それは、昔の私だって、いやというほどわかっていたはず。
鬼からのメールを鬼のような顔で起案していたとき、そんなことをしている自分を情けなく思っていただろうし、子どもへの罪悪感でいっぱいになっていただろうし、「どうして自分は子どもに対し上手に丁寧なコミュニケーションでよい方向に導けないのだろう」などと泣きたい気持ちになっていたはず。
でも、泣きわめく子どもと静かに穏やかに向き合う心の余裕も時間の余裕もなくて、ただただその場をどうやってしのぐことができるかということで頭がいっぱいだったんだろうなと思うのです。
今思えば、自分が、そんなことを考えついてしまうくらい切羽詰まっているという状況に気付いてあげて、まずは自分が、子どもと穏やかに向き合えるための環境を作るために何ができるかを考え、周囲のかたに相談したり、助けを求めたりすればよかったなと思う。
この報道を見て、私のように心がざわついた方、いらっしゃいませんか?
もし、今まさに大変な日々を乗り切ろうとしているご自身を責めそうになってしまった方がいらしたら、深呼吸して、どうしたら、ここまで追い込まれたご自身にちょっとでも肩の力を抜く時間を贈ることができるか、ご自身のために、お子さんのために、考えてみてもいいかもしれないな、などと思いました。
寒い毎日が続きますが、心身ともに温かい時間を過ごせますように。
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