リーガルエッセイ
公開 2026.06.16

何気ない一言が与える傷

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記事を執筆した弁護士
Authense法律事務所
弁護士 
(第二東京弁護士会)
慶應義塾大学法学部法律学科卒業。司法試験に合格後、検察官任官。約6年間にわたり、東京地検、大阪地検、千葉地検、静岡地検などで捜査、公判を数多く担当。検察官退官後は、弁護士にキャリアチェンジ。現在は、刑事事件、離婚等家事事件、一般民事事件を担当するとともに、上場会社の社外役員を務める。令和2年3月には、CFE(公認不正検査士)に認定。メディア取材にも積極的に対応している。
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ある報道から引き出された苦しい思い出の話

先日、ある報道に目がとまりました。
ある文具系のイベントに出店していたブランドが、自社スタッフによる差別的な発言や、公の場での配慮を欠く会話があったとして、来場されたお客様に対して謝罪をした、というたぐいの話でした。販売スタッフによる、いわば「裏側」での会話が、SNSを通じて表に出てきた、という構図のものです。
この報道に接して、私は、ずいぶん昔のことを思い出していました。
私がまだ検察官だったころの話です。当時の私は単身の一人暮らしで、毎日の食事は、正直に言えば、かなり適当でした。
夜ご飯は、食べられるときに食べるという生活。
勤務先の検察庁の近くにあったちょっとおしゃれなラーメン屋さんに、よく立ち寄っていました。
注文するものはだいたい決まっていて、ラーメンに、ねぎに辛いソースを絡めたものが乗っているご飯をつける、というのが定番。
ある日のこと。
なんとなく食欲がなくて、その日はご飯をつけませんでした。
そうしたら、カウンターの中の店員さんが二人で、こちらをちらりと見ながら、「くもりメガネ仕事女、ご飯つけず?食欲ないご様子。」と、ごく小さな声で言い合って、笑っているのが聞こえてしまったのです。
自分のことだと、すぐにわかりました。
かっと顔が熱くなりました。
恥ずかしいような、侮辱されたような、怒りに似たような、いろいろな感情が一気に湧き上がってきて。
けれど、私は何も言えませんでした。
黙ってラーメンを食べ終え、お金を払って、店を出たのを覚えています。
その日以降、そのお店には一度も行っていません。
近くを通るのも怖くなってしまって、目的地が、そのラーメン屋さんの延長にある場合は、ラーメン屋さんの前を通らない道を調べて、遠回りして歩くようにしていました。
私は、そのとき、自分でも驚くほどに動揺したのです。
いま思い返してみると、その動揺の正体は、いくつかの層に分かれていたように思います。
ひとつは、店員という立場の方々が、客に対して、そんな悪意のある目を向けているとは、まったく思っていなかった、ということ。
私は勝手に、店員さんというのは、客に対しては無関心か、もしくは、よく来てくれる客として好意的に見てくれているか、そのどちらかなのだろうと思い込んでいました。
だからこそ、まさか、陰でそんなふうに笑われているなんて、という驚きが大きかったのです。
もうひとつは、その場面で笑われた「私」というのが、私にとっては、わりと一生懸命だった「私」だった、ということです。
ラーメン屋に来てまで、仕事のことを考えながら、ぶつぶつとノートに何かを書き込んでいた私。
湯気でメガネがくもるのを、一生懸命に拭きながら食事をしていた私。
そんな慌ただしい時間の中でも、いっときエネルギーを補給して、また深夜に向けて頑張ろうと自分を励ましていた私。
その全部が、ひとことで「くもりメガネ仕事女」(メガネくもらせ仕事女だったか?)とまとめられて、笑いの対象にされてしまったように感じたのです。
サービスを提供する側から、客が陰口をたたかれたり、笑われたりしたときに、客の側がなぜこれほどまでにつらく、恥ずかしく、悲しい気持ちになったのか。
当時は、あの出来事を思い出すことすら怖くて、何も考えないようにしていたから、なんとなくあやふやになっていたのですが、このたび、この報道を目にしてふと考えてみたくなりました。
客としてその場に身を置くとき、私は、多かれ少なかれ、自分の無防備な姿をさらしている。
お腹が空いている姿、疲れている姿、ひとりで食事をしている姿、注文を迷っている姿。
そういった、ふだんは見せない、ある種の素のところを、店の側に預けている。
それでも安心していられるのは、店の側が、自分のことを、少なくとも悪意ある目では見ていないだろう、という素朴な信頼があるからなのかもしれない。
その信頼が裏切られたとき、私は、単に「悪口を言われた」というだけでは説明のつかない傷つき方をしたような気がする。
自分が安心してさらしていた姿が、そのまま、嘲笑の材料にされていたことを知るから。
自分の弱さや、ささやかな日常の振る舞いが、見られていただけでなく、品定めされ、笑われていた。そのことに気づいた瞬間、私は、自分の存在そのものを否定されたような感覚に陥ったのではないかと思う。
ちょっと大げさかな、とも思うけど、でも、これは私の本心に近いような気がするし、そういう気持ちになる人もいるんじゃないのかなとも思うのです。
そして、ここからは少し角度を変えた話になりますが、こうしたことを考えていると、最近よく耳にする「カスタマーハラスメント」の問題と、決して無関係ではないように、私は感じるのです。
カスハラの議論では、客の側が、サービス提供者に対して、理不尽な言動をぶつけることの不当性が、繰り返し語られます。
これは、まったくそのとおりだと思う。
働く方々の尊厳が、客という立場を笠に着た言動によって傷つけられてよいはずがありません。
ただ、その一方で、サービスを提供する側もまた、客に対して、無自覚に立場を行使し得る場面がある、ということも、忘れてはならないように思うのです。
「客」と「店」のどちらが強いか、という単純な話ではなく、その場面その場面で、どちらの側にも、相手を傷つけうる力がある。
両側にあるその力に対して、それぞれが自覚的であることが、健全な関係の前提なんじゃないかと思うのです。
カスハラを語るときに、客の側の節度だけを問うのでも、店の側の負担だけを訴えるのでもなく、互いが互いに対して、ふとした瞬間に加害者になり得ることを、両側から見つめ直す。そうした視点もまた、必要なのではないかと感じます。
そして、最後に、私自身の話に戻ってきます。
弁護士という仕事は、相談者やクライアントの、もっとも無防備な姿に立ち会う仕事であるといえるのかもしれない。
法律相談の場で語られる事情の多くは、その方が、ふだんは誰にも見せていない、弱さや迷いや、後悔や恐れを含んだもの。
相談者は、安心してそれを話せるはずだ、という信頼のもとに、私たちの前に座ってくださっています。
だからこそ、私は、あのラーメン屋でのことを、トラウマとして、自分の中で封印してしまうのではなくて、ときどき自分の奥底から取り出して、思い出す必要があるのかもしれないと思うのです。
依頼者、相談者がいない場面で、依頼者、相談者の方の振る舞いや言葉づかいを、心の中で品定めしていないか。
一生懸命にこちらに向き合ってくれている方に対し、そのような姿勢で向き合うことは、たとえ、目の前に相談者や依頼者がいなくても、絶対に絶対にしてはいけないことだということを改めて肝に銘じなくては。
あの日の私が感じた、あのかっと熱くなる感覚を、私は、だれにも味わわせてはいけない。
それは、依頼者の方への対応という以前の話で、人として当たり前にしなければいけないことで、ただ、ひとりの人として、別のひとりの人と向き合うときの、ささやかな姿勢の問題。
報道の中の出来事を、遠くのだれかの話として眺めるのではなく、自分の側の振る舞いを、もう一度、静かに見直してみる大事な機会として受け止めなければ。
最後に。
あのころ、泣きたい気持ちで、笑われながらラーメンを食べていた20代の私に言いたい。
あなたは、20年くらいのときを経てもなお、相も変わらず、くもりメガネ仕事女である。
でも、20年前と今とで、決定的に違っている点が2つある。
1つめは、今は、結構食生活に気を遣っていて、外食する機会がかなり減ったので、メガネをくもらせているのは、ラーメンとネギご飯ではなくて、たまに外出先で次の予定との合間の時間に立ち寄ったカフェで飲むコーヒーであること。
2つめ。
今は、「コーヒーを飲みながらメガネをくもらせている私を、『くもりメガネ仕事女』と店員さんが笑う声が耳に入ってきたら?」というお題を自分に与えては、そのようなシチュエーションで、もっとも効果的で、それでいて上品で、最高に爽快な反撃手段はなんだろうかと考える、その想像があまりにも楽しくて、一人でにやついて、気付いたらセリフを口に出してはよりよいものに推敲してしまうくらいにまで私は結構強くなったということ。

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