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建造物侵入と、人々の思いと
旭川地裁で、判決の直後に法廷内へ立ち入った男性が、建造物侵入の現行犯で逮捕されたという報道に接しました。女子高校生を殺害した罪などに問われた被告人に懲役27年が言い渡された、その直後の出来事だったと伝えられています。
ふと、「どこをもって『建造物』としたのだろうか」と思いました。
「建造物」とは、屋根があって壁や柱で支えられ、土地に定着して人が出入りできる構造物をいう、と一般に説明されています。庁舎としての裁判所の建物それ自体が「建造物」に当たることは、特段の異論のないところだと思います。けれども、裁判所の建物には、傍聴人として誰でも自由に入っていける部分があります。一般人が立ち入ることが許されている空間に入ったというだけで、ただちに「侵入」と評価できるのか、という問題が出てきます。
この点について、判例は、管理権者が立入りを許諾していない目的での立入りであれば、形式的には開かれた空間であっても「侵入」に当たり得る、という立場を取っていると理解されています。庁舎管理権を持つ者が想定する通常の利用目的を逸脱した立入りについては、建造物侵入の成立を認めた裁判例が積み重ねられてきました。
そうすると、「建造物」は、
①裁判所庁舎そのもの、
②傍聴席を含む法廷全体、
③法廷のうち柵の内側部分
のいずれとして構成することもあり得るところ。
事実関係がわからないので、なんともいえないところではあります。
でも、裁判所庁舎や傍聴席に立ち入る時点で、すでに「およそ法廷で大声をあげて審理を妨げる目的で立ち入った」と認めることはなかなか難しいはず。
となると、通常、決められた立場の人の立ち入りしか許されていない、法廷の柵の内側部分に立ち入った行為をとらえて建造物侵入と評価されたのだろうと思います。
ここまでは、本件について考えたこと。
ここからは、本件を離れ、判決を受け止めるいろいろな思いについて考えてみたいと思います。
裁判を傍聴していると、目の前の法廷で、直視することすら難しいような出来事が、淡々と明らかにされていくわけです。
ときには、かゆいところに手が届かないような、もどかしい思いを抱くほど、肝心なところがついに分からないまま終わってしまうことも。
そして、そこで明らかにされた事実に対して、自分が想像していたものとは隔たりのある刑事責任しか認定されなかったとき、その事件の関係者や被害者の方々が抱える思いは、外からはうかがい知れないほど深いものがあるのだと思います。
法廷はすぐそこにあるのに、柵で区切られていて、まるで劇場の舞台のように、どこか他人事のように手続が進んでいく。
そのことへのいら立ちのようなものも、きっとあるのではないかと想像します。
刑事裁判は、被告人の罪責と刑罰を法に従って定める手続であって、関係者の全員が納得できる結論を出すための場ではありません。
それは制度の限界であると同時に、刑事裁判が刑事裁判であるための、譲ることのできない一線でもある。
全員が納得するように、ということは、そもそもできることではありませんし、それが目的というものでもないのです。
それでも、せめて、なぜそうした結論に至ったのかということが、時間を置いて振り返ってみたときに、関係者の方々の中で少しずつでも腑に落ちていくような、そうした説明が、法廷の中できちんとなされているといいなと、思うのです。
判決理由の言葉が、ご遺族や関係者の方々に届くものとして紡がれているか。当事者の声が、形式的にではなく、丁寧に受け止められているか。そうした一つひとつの積み重ねが、法廷の柵の内と外を、ほんの少しだけでも近づけてくれるのではないかと思います。
法廷で起きた出来事を、建造物侵入という条文に当てはめて評価することは、法律家の仕事。
けれども、その手前で、どうしてそのような行動に出る人が現れてしまったのか、その背景にある思いに想像をめぐらせることもまた、私たち法律家に求められていることであるように感じます。
弁護士の一人としてできることはとても小さいことなのかもしれませんが、それでも、その一助になれるような活動を、これからも続けていきたいと思います。
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