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浜岡原子力発電所3号機・4号機の基準地震動策定に関する調査報告書より
先日、浜岡原子力発電所3号機・4号機の基準地震動策定に関し、特別調査委員会による調査報告書が公表されました。
中部電力は、2014年2月14日以降、浜岡原子力発電所3号機と4号機について、原子力規制委員会による新規制基準適合性審査を受けており、規制庁から、審査の前提となる基準地震動の策定に関して調査を行う旨の連絡を受けていたとのこと。
中部電力による規制庁への対応の結果、地震動評価における代表波というものの選定が、中部電力自身による説明内容と異なる方法で実施されていた疑いがあることが確認され、このことが審査に影響を及ぼす可能性がある上、原子力事業そのものへの信頼を失墜させる可能性があるものとして、外部の特別調査委員会による調査がなされるに至ったとのことです。
公表された調査報告書を読んでみました。
書かれている内容については、原子力事業や地震動等に関する専門的知見をベースにする部分が非常に多く、私の理解が及ばない部分がありました。
でも、そのような中でも、とても大事な視点だなと思うところがいくつかあり、そんな話をしてみたいと思います。
1点目は、「独自の正当化理論」について。
調査を進める中で、中部電力内には「自分たちは正しいことをしている」という考え方があり、それが不適切な行為を確信や信念を持って実行することにつながっていた、と報告書は指摘しています。
「独自の正当化理論」というと、ちょっと難しく聞こえますが、これは、意外にも身近な話で、会社だけに起こる話ではないように思います。
個人の生活でも、自分が大切だと信じる目標を持つほど、そこへ急ぐあまり、本来なら丁寧に踏むべき手順を「今は省いてもよい」と考えてしまうこと、ありませんか?
たとえば、子どもが困らないようにと思い、本人が考えたり失敗したりする時間を待てず、親が先回りして答えを出してしまうとか、地域の子どもたちに楽しい場を早く届けたいと思い、会場の安全確認や保護者への説明を後回しにしてしまうとか。
多くの人に役立つ情報を早く伝えたいと思い、確認が十分でない話を「たぶん大丈夫」として発信してしまうなどということもあるのかも。
どれも、出発点だけを見れば悪意とは限らないように思うのです。
誰かのためになりたい、早く状況をよくしたいという思いから始まることもある。
でも、「早くゴールに着けば、たくさんの人のためになる」という思いは、ときに、途中で必要な練習、確認、相談、記録を「面倒なもの」「目的達成を邪魔するもの」と意味づけてしまう。
言うまでもなく、本当は、その一つ一つが、最後に誰かの役に立つための土台なのに。
そして厄介なのは、省いた事実を、やっている本人がいちばんよく知っていることです。
周りには理由を説明できても、自分の中には「本当は、あの確認は必要だった」という感覚が残ります。
その感覚を見ないようにしていると、自信の根っこが少しずつ揺らぐような気がしませんか?
自分で自分の仕事を信じ切れない。
人から問い直されたときに、内容より先に身構えてしまう。
そういう不安が、どこかに残り続けることがあるように思います。
「忙しかった」「結果は悪くなかった」「自分のほうが事情を分かっている」。
こうした言葉を何度も使っていると、自分たちだけのルールで物事を進めることに慣れてしまうおそれがあります。
だからこそ、「それは、独自の正当化になっていないか」と指摘してくれる存在が必要です。もっとも、ただ強く否定すればよいわけではないと思います。
事情をよく知らない人から一方的に責められれば、誰でも防御的になります。
相手の仕事や置かれた状況を理解しながら、「その省略を、事情を知らない第三者にも説明できるだろうか」「同じ目的を大切にする別の人が見ても、納得できるだろうか」と問いかけてくれる人がいることが大切なのだと思います。
同時に、指摘を受ける側にも訓練がいるのかもしれません。
すぐに言い返すのではなく、いったん手を止めて、「自分は何を急ぐあまり、何を省こうとしているのか」と考える。
その小さな習慣が、自分を守ることにもつながるように思います。
2点目は、内部通報について。
報告書によれば、社内には、外部専門家に相談できる仕組みやヘルプラインがあり、実際に問題を指摘する声も届けられていたそうです。
それでも、通報後の調査に独立性や客観性が十分に確保されず、問題を是正する機会を生かせなかったとされています。
これは、原子力事業に限った課題ではないと思います。
多くの会社で、相談窓口や内部通報制度の整備は進んでいます。
でも、本当に問われるのは、窓口があることそのものではなく、そこに届いた声をどう扱うか。
通報した人は、迷った末に声を上げています。
自分の思い違いかもしれない、職場で関係が悪くなるかもしれない、名前が知られたらどうしよう、といった不安を抱えながら、それでも「このままではよくない」と考えて相談することがあるはず。
その声が受け流されたり、問題に関わる部署だけで結論が決められたりすれば、通報した人は、窓口がなかった場合以上に深い不信感を抱くかもしれません。
「どうせ何もする気がないなら、ヘルプラインなど作らなければよい」と感じるのも、無理はないと思います。
そうなると、組織の中で声を上げることをあきらめ、外に訴えたいと考える人も出てきます。今は、SNSを通じて一人の発信が短時間で広がる時代です。
組織が説明する前に情報だけが広がれば、事実関係を丁寧に確かめることも、関係者を守ることも難しくなります。
もちろん、外部への発信には、個人情報や取引先との関係など、慎重に考えるべきことがあります。
それでも、外に出る前の段階で、組織の中に「ここなら話をきちんと聞いてもらえる」と思える場所があるかどうかは、とても大きいのだと思います。
通報の内容をそのまま採用できない場合でも、無視しない。
何を調べ、どのような理由で結論に至ったのかを、伝えられる範囲で説明する。
調査には必要な知識を持つ人を関わらせつつ、利害から距離のある目も入れる。
こうした一つ一つの対応が、制度を生きたものにするのだと思います。
今回の報告書は、専門的で難しい内容を多く含んでいます。
でも、そこにある問題は、私たちの日常から遠いものではないように感じました。
早くよい結果を出したいという気持ちがときにそこに至る過程で間違いを犯してしまうこともあること。
言いにくい声を、面倒なものとして扱ってしまうこと。
どちらも、規模は違っても、身近な場所で起こり得ます。
何かを急いでいるときには、「急ぐために、自分は何を省こうとしているのか」と一度考える。
誰かから指摘を受けたときには、反射的に身を守る前に、その言葉に耳を傾ける。
声を受け取る側であれば、話した人が「言ってよかった」と思える対応を選ぶ。
仕事に限らず、人と人とが関わる上で大事な課題が投げかけられているように思います。
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